1960年代に生まれたヒッピーとは?
ヒッピーとは、1960年代後半にアメリカ合衆国を中心に起こった反戦・反体制・反文化運動に参加した若者たちを指す言葉で独自のカルチャーを築き上げた。ファッションカルチャーとしてご存じの方は多いのではないだろうか。代表的なものとしては、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリン、グレイトフル・デッド、ジョン・レノンなどの音楽カルチャーや、自然や環境問題に対する関心が高く、オーガニックフードや自然療法、再生可能エネルギーなどの取り組みも推進した。そして極めつけはヒッピーたちは反戦運動にも大きな力を発揮し、ベトナム戦争への反対運動に参加した。
ヒッピー文化が生まれた背景には、当時のアメリカ社会に対する若者たちの反発や不満がある。1960年代に入ると、戦争ベトナムや人種差別などに対する不満や反発が広がり、若者たちの間で反体制的な運動が起こるようになった。昔の価値観にとらわれず、自由なライフスタイルを追求するようになったのだ。政治や社会への失望から自由を求めて生まれたのがヒッピーカルチャーというわけだ。
そうした社会的な背景に加えて、当時の若者たちは、西海岸のカリフォルニア州やサンフランシスコなどで、多様な文化や思想が交じり合った環境で暮らしたこともあり、ヒッピー文化の形成に影響を与えた例と言われている。
そしてヒッピーたちはコミューンと呼ばれる自治体を形成し、生活を共にすることを始めた。同じ思想を持つ者たちが集まり新しい希望を抱くためにコミュニティを作ったのだ。コミューンでは自然と共生し、自由を謳歌しながら同じ志のヒッピーたちが生活を共にした。
激動の時代にカウンターカルチャーとして生まれたヒッピー。これは現代に最適化されて同じような現象が起こっている。
ヒッピーが生まれた時代と現代の類似点とは?
1960年代にベトナム戦争が開戦し、資本主義と社会主義の代理戦争として泥沼化した。現代のロシアとウクライナもまた、同じ様相で泥沼化が懸念される。もちろん時代の流れによって形としては大きく違ったものにはなれど、民衆たちは大きく懸念し、失望し困惑してることには変わりない。反戦運動も盛んとなり、似通った様相になりつつあることは間違いない。
また、要人暗殺も特徴的だ。1963年に世界に衝撃を与えたジョン・F・ケネディの暗殺、1968年には公民権運動の主導者マーティン・キング・ルーサー・ジュニア、キング牧師の暗殺により分断が加速した。様々な説が語られる中、真相は定かではないものの、多くの民衆が動揺し、失望したことには変わりはない。現代に置き換えると記憶に新しい安倍晋三元首相の銃撃事件だろう。こちらもまた真相がすべて解明されている訳ではないが、TIME誌の表紙に取り上げられるほど、国内のみならず世界に衝撃を与えた。
戦争や要人の暗殺は民衆からすると動かしようのない部分でもある。とはいえ、自らにも密接に影響してくるであろうし、イデオロギーによっても大きく意見は変わってくる。要するにどうしようもないことではあるのだが、大きな流れで自らにも強く影響し不安を招き、情報も錯綜することから分断も招く。
そして環境問題は国連が謳うSDGsを代表に、世界全体が高らかに掲げる。これは1960年代とは大きく変わった点だが、環境問題を唱えることは少数派ではなくなったのだ。むしろ、環境を配慮した活動を行わないと社会では生き抜いていけないほど当たり前のものになったわけだが、一方で環境活動への不信感はSDGsがマネーゲーム化しつつあるという意見も多い。
起きている現象は現代と比較をすると類似する点は多くあれど、複雑化していたり情報が錯綜していることによって不安と失望を招き、疑心暗鬼になる。陰謀論めいたものが台頭し何が本当の情報かがわからない。それは1960年代も現代も同じことなのだと思うが、SNSの普及により広がるスピード感は間違いなく加速した。
SNSは現代のコミューンにはなり得なかった。
1960年代後半は現在のテクノロジーの根幹となる部分が生まれた時期でもある。スティーブジョブスやビルゲイツもまた、その時代を過ごし、ヒッピーと同じ思想をもって自由を求め、コンピューターやインターネットの開発にいそしんだ。現実世界に失望し、新しい自由への活路を「パーソナルコンピューター」という個人が持てる武器を開発し、自由へと旅立てる「インターネット」という仮想空間に求めたのだ。
確かに、もともとはインターネットは自由を求める人々にとっての新天地だったことは間違いない。時は流れ、世界中の人々がデバイスを手にし、インターネットの空間に触れることになった今、コミュニティを作り、物を買い、生活の多くの部分をインターネットで済ます時代がやってきた。
自由な思想の表現や言論もまたインターネットで行われる。SNSの普及は個人がメディアを持てる時代になったと言えるわけで、自由であり、拡散力も高く、当時のヒッピーたちからすると理想的なものなのだろう。公民権活動や、反戦活動、環境活動など、インターネットが無かった時代のヒッピーたちが見れば必ずうらやむであろうと思う。
だが、現在SNSは真の自由を求める空間になり得たのか、と言われるとけしてそうでは無いように思う。何かのプラットフォームに依存し、アルゴリズムによって調整され、分断を招くツールにもなるし、情報操作、印象操作もたやすい。おそらく真の自由を求めるツールにSNSはなり得ないだろう。エコーチェンバー現象やフィルターバブル現象によってSNSが分断を加速させる一つの原因となっていることは間違いないのだ。
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次のコミューンはメタバースへ、現代のヒッピーはデジタルヒッピーへ
メタバースは仮想空間をよりインタラクティブに没入感をもって体験でき、かつ社会性も伴ったもの。仮想空間内で生活するに等しいものであり現在のSNSとは一線を画す。メタバースは真の自由を求める者たちの新天地となり得るのだろうか。
現在はメタバースの黎明期だ。テクノロジーは日々発達し、進化しているが、一般に浸透するまでにはまだ時間がかかるだろう。法整備や定義なども定まり切っておらず、自由と言えば自由、無法地帯ともいえる。ただ、そこまで長い時間を擁さずにメタバースは必ず世の中に浸透することになるのは間違いない。特にデバイスの発達が進めば一気に浸透は進む。現在はいわゆるヘッドマウントディスプレイと呼ばれる大層なゴーグルをつけないと没入感のあるメタバース空間を体験することはできない。スマートフォンやPCでは立体感や没入感は欠けるし、ヘッドマウントディスプレイは重いし高価で現実的ではない。
Appleが現在、Apple GLASSと呼ばれるメガネ型のARデバイスを開発中とのことだが、既存のヘッドマウントディスプレイとは全く違うものが出せるのかが注目だ。名前の通り、眼鏡と変わらないくらいの軽量で、自然なルックスであれば一気に浸透するだろうし、発売当初は当然高額だが、時間が経つにつれ価格も収まってくる。
現実世界に自由が無いと嘆く人々は仮想空間に旅立ち、デジタルヒッピーになってしまうのか。仮想空間では本当の自由が待っているのか。
映画マトリックスは何かの預言書のようだと言われている。そう遠くない将来、仮想空間が本物の自由を謳歌できる場所になるのか、現代のSNSのように作られた自由があるだけの場所になってしまうのかは分かるだろう。
願わくば、マトリックスのような世界は来ずに、純粋に自由を愉しめるメタバースに期待をしたい。