エコーチェンバー現象がファッションカルチャーを分断する

SNSで騒がれるエコーチェンバー現象とは

昨今、SNSが原因として言われるエコーチェンバー現象はご存じだろうか。

私の認識では、SNSを使用することによって、ユーザーが好みの情報を検索し、アルゴリズムによってさらにそのユーザーにとって有益であろう情報をSNSが提供する。その積み重ねによって自らの意見や趣味趣向などがさらに強固なものとなり外部の意見や反対意見を受け付けなくなる、というものだ。

確かにSNSのアルゴリズムは検索ワードに敏感に反応し、好みであろう情報をどんどんと提供してくる。逆に好みではない情報は遮断されフィルターバブルと言われる自分が見たい情報しか見えない状態になる。SNSの根幹でもあるフォロワーの仕組みにおいても、自らの意見に肯定的な人々が集まり、コミュニティができるわけでそのようになるのは無理もない。いわゆるイエスマンに囲まれたような状態になるのだろう。

SNSが普及する以前はマスメディアによって同様のことが起きていた。好みのTV番組、報道、本などを目にすることによって情報取得に偏りが起きる。

それ以前でも現実の世界でも同じだ。現実世界でも友人や知人は近い価値観を持った人間が集まりコミュニティを形成する。別に今に始まったことではなく、SNSが原因というよりその本人の情報取得のやり方や客観性の持ち方ではないかと思う。

私の意見としては「何をいまさら」といった感覚があるのだが、どうやらそれなりに問題視されているようだ。視野が狭い生き方は井の中の蛙状態で豊かではない。人生を豊かに生きるノウハウとして、それならばファッションの視点でエコーチェンバーを考察していきたいと思う。

ファッションにおけるエコーチェンバー現象

そもそもファッションは、あるコミュニティに認められる為のツールでもある。例えばドレスコードのようなものだ。

高級レストランである程度のドレスコードを設けているのは、そのレストランの格に合わせたスタイリングを義務付けることにより、集まる客層に違和感なくフィットする。結婚式は代表的な例だろう。TPOに応じて主催者が装いを指定する。これは集まるコミュニティが違和感なく心地よく過ごすための手段でもあり、日本ではやや親しみは薄いが、欧米諸国では親しまれた慣習だ。事実驚くほど細かくルールが設定されており、欧米諸国のTPOに応じた衣服の扱いに価値観を感じるわけだが、一方、日本の結婚式をはじめとしたドレスコードはかなり独自の変化を遂げた、ある種寛容なものになっており、良くも悪くも日本らしい寛容でガラパゴス的な変化を遂げている。

そして、昨今薄れつつあるビジネスにおけるスーツの着用。これもまたビジネスコミュニティに参加するうえで相手に認められるための慣習だったと言えるだろう。現在はかなり薄れつつはあるものの、ファッションはコミュニティに属するため、認められるためのツールでもあるのだ。

これは実は、結婚式やビジネスなどではなく一般的なプライベートでの衣服でも同様のことは常に起こっている。例えば極端な例にはなるが、ヤンキーコミュニティの価値観では暴走族の特攻服がカッコいい対象になる。それは所属するコミュニティにが「よし」としているためであり、それを着用することにより認められるからだ。ただ、興味のない人間、違ったコミュニティに所属している人間からすると理解しがたいセンスでもあり、客観的に見ると少数派だとも思う。ただこれはエコーチェンバー現象によって成立してしまう。所属しているコミュニティの肯定的な意見が目の前にたくさんあることによって、「よし」としてしまうのだ。

私はファッション業界に長期間携わったことにより、多様な趣味趣向、テイスト、トレンド、そして客層を見てきた。SNSの普及によって昔と比較すると、ファッションは明らかに画一的になっており「量産系」などという言葉も生まれる始末だが、興味が向いていないだけで、依然として多様な洋服の種類は存在する。

客観的に多様な洋服を着る人々を見ていて、コミュニティを連想してしまう。いわゆる量産系を着ている人々はSNSなどの情報収集に没頭し、同調圧力にも弱く、マイノリティに一線を引く。一方で個性的なマイノリティー達は量産系を否定し、少ない情報に活路を見出し、個性を貫くことを美学とする。そのようなコミュニティが形を変えてたくさん存在するわけだ。

ただ、言えることは量産系にせよ、個性的にせよ、全て同じなのだ。マーケティングで用いられるイノベーター理論で言うところのイノベーターはごく一部、たった数%のトップデザイナーやクリエイター達だ。彼らが巻き起こすイノベーションを何らかの形でアーリーアダプター、初期採用者と言われる現在で言うところのインフルエンサーやファッションに敏感な層が採用し、発信し、そして残りの80%ともいわれるフォロワーたちが影響を受けトレンドが生まれていく。

多くの人間はフォロワーなのだ。個性的だと自負している人々も、実は大半は何かの情報を見て影響を受け、しっかり製品化されたものを購入し着用している。実はある程度、掌で転がされている状態なのだ。

それを正真正銘変えていくには、イノベーターになるしかない。ただ、急にデザイナーになれだとかパリコレに出れるかとなると不可能だ。簡単になれるものではない。

それならもっと自由に、豊かに洋服を着るべきではないだろうか。トレンドに敏感だとか個性的だとかは結構どうでもいいことだ。重要なのは装いを通じて豊かな気持ちになれているかどうか。

先に話したドレスコードのように、コミュニティに認められるためのファッション、という考え方は社会性の一つとして必要なものだとは思っている。だが、すべての洋服がコミュニティに認められるためのものにするのは豊かではない。

本来はファッションは自由なもののはずだ。表現の自由があるように我々の手の中にはコーディネートの自由がある。時にドレスコードによって制約されるような場面があったとしても、大半の時間はコーディネートの自由が誰にでも手の中にあるのだ。

それなのに、いつの間にやらコミュニティに認められるために人の顔色を窺い、SNSで多数派の意見を調査し、万年ドレスコードのような状態になってしまっているように思う。そして他の価値観や反対意見に対して耳を貸さず「ダサい」と断じる。これは誰にとっても豊かでは無いのではないか。

洋服を着ることは食事をすることと変わらない

人は生まれてから死ぬまで、毎日洋服を着る。そして、毎日食事をする。

洋服を着ることと、食事をすることを同じ視点で考えてみてほしい。例えば昨今増加している価値観の一つ、ミニマリストだ。スティーブジョブズを代表に、最低限の品数で同じテイストでユニフォーム的な感覚でワードローブを組む。目的は効率化だ。

これを食事で考えてみると安くて食べるのが早くて栄養もある程度あり、簡単に入手できるようなもの。それを効率化の為に毎日食べ続ける。

こういった考えがフィットする人ももちろんいるはずだが、私は豊かではないように感じてしまう。高いものを食べて着ろというわけではない。たとえ安価な食材であっても、調理の工夫や仕方で大きく味は変わる。隠し味で独自の味も出せる。安価な食材で倹約しながらも工夫と創造力によって豊かにはなれる。それは洋服でも同じだ。

そして、他人の食事の好みに口出しをする必要があるだろうか。工夫をして作った料理に本人は満足していて人にふるまうわけでもなく個人の自由として食べているのであればそれはそれでよいではないか。

私はファッションにおいて、もちろん好みはあるが否定することと言えば向上心の有無と美意識の有無くらいだ。テイストや好みなどはどうでもよく、本人が一生懸命考え、工夫し、自信をもって豊かに装っているのであれば、ドレスコードなどTPOに制約がなければ自由にやるべきだと思っている。

無意識にエコーチェンバー現象に巻き込まれ、実は自由なのに周りを伺いながら過ごしてはいないだろうか。ある程度周りに合わせる協調性は大切だし、必要なことではあるが、すべてを誰かに合わせる必要はない。

特に装いや食事などライフスタイルに密接なものに関しては周りにベクトルを合わせるのではなく、あくまで自分にベクトルを合わせて豊かなのか否か、を判断の軸にしてほしい。

昨今、月並みな言葉になり下がった「多様性の尊重」

キーワードが世に出回る一方で、実際の世の中は画一化が進んでいる実感がある。それは何よりエコーチェンバー現象によってコミュニティやカルチャーが分断されていることからだと思っている。

たまにはスマートフォンを置き、外に出かけて色々なものを見て色々な人と話す。いつもと同じ場所や人ではなく、多角的に物事を見てみよう。そうすれば、自分が良いと思っている価値観もまた大きく変わるかもしれない。

時代に左右されないオーセンティックな服

様々なTPOに対しての装いを提案するI SUGGEST。今回はSNSで情報が飽和する中で時代に左右されない服を提案したい。昨今はベーシックという言葉がどこもかしこも転がっているが、ベーシックは時代によって変わる。多くの人間が認めればその時代のベーシックとなり、淘汰されるものもあれば、生き残り続けるものもある。これは私なりの解釈になるが、生き残り続けるものがオーセンティックとなり、さらに長期間生き残り続けるものはクラシックに昇華される。オーセンティックは直訳すると「本物」のようなニュアンスだが、私の中では定番として生き残り続けていることと、気軽にいつでも買えるもの、といったニュアンスだ。クラシックほど敷居は高くないが、時代や情報に左右されず確かにホンモノであり簡単に入手できる。そんなオーセンティックなものを紹介していきたい。

BARACUTA G9

スウィングトップやハリントンジャケットなど様々な呼び名はあるが、元祖スウィングトップであるバラクータは時代を超えた名作。おじさん臭さは否めないが、着こなしによって激変する。トラッドな組み合わせもよいのだが、個人的には極力鮮やかな色を選ぶか、コーディネートによって入れ込むことにより、着こなしの差が出せる。裏地の赤ベースのタータンはインナーの色を拾うのにも最適。季節的にも幅広く使えることが出来、年齢も問わない。1着あれば幅広いニーズをカバーできるだろう。

SIERRA DESIGNS マウンテンパーカー

こちらもマウンテンパーカーの元祖。60/40クロスは機能的には現代のハイテク素材には全く及ばないものの、雰囲気のある生地は唯一無二でもある。アメリカ製以外も最近は出ているようだが、ここはアメリカ製一択。本来はその名の通りアウトドアアイテムになるが、ドレス的な着こなしにも非常にマッチし、アメカジストレートでコーディネートするよりかは、ドレスパンツなどきれいめな組み合わせでドローコードを駆使してシルエットにも工夫したい。