日本のカレーにおけるガラパゴス化と発展の理由
日本と国民食の一つとして親しまれているカレー。日本のカレーは時代の流れに伴い、独自の変化をしてきた。元々のインドのカレーとは全く似て非なるもので、日本らしいガラパゴス的な変化を遂げている。明治初期にイギリスから日本に持ち込まれ、明治9年に「少年よ、大志を抱け」の名言で有名なクラーク博士がカレーを給食に導入した。基本的な普及の歴史は国民食であるコメを使用する料理だという事と、自宅で使えるカレールウの普及、学校給食への普及などが大きいと思われる。
そんなカレーが「何故、日本で独自発展したか」という部分においていくつかの事実と仮説が考えられる。今回は誰にとっても身近にあるカレーの独自変化とカルチャーについて考えていきたい。
①家庭内での変化
カレールウの普及と主食であるコメの料理であることから家庭に普及。「家のカレー」は家庭ごとに独自の変化を見せる。家庭内で普及する要因としては保存がきいたり、調理が簡単で、かつカスタムすると栄養価の高い具も入れれるなど、主婦視点で見ると非常に優秀な料理なことも大きかっただろう。
「家のカレー」の味で子供は育ち、「なんだかんだ家のカレーが一番うまい」と豪語する人も多数存在する。その「家カレー」はあくまで大半が市販のカレールウを用いることから、アンダーラインを下回らない味となり、各家庭のカスタムの加点方式のような形になる。幼い時から「家カレー」や店、市販、給食のものも経験しカレーの多様性に触れることから、ある程度の国民が「カレーに精通した状態」で育っていくことは間違いない。事実私も幼少期はカレーを好んで食べ、友人の自宅に招かれカレーを振舞われれば味の違いに驚き、店で食べれば全く違う味に驚嘆した。誰しもそのような経験はあるのではないだろうか。
②やがてカレーに精通した子供たちが大人になり国民の大半がプチカレー博士に
カレーの多様性やカスタムの自由度に精通した国民たちは、「カレーって何混ぜてもうまいよね」だとか、「うちはこういうカレー」だとかそういうカルチャーになる。カレーに対してそれなりの持論を持ち合わせた状態で、事実「好きなカレーってどんなの?」と聞かれてシャバシャバからドロドロ、スパイシー、甘め、ソースを足すんだとか、醤油だとか返答は多岐に渡り具体的に答えれるケースが多い。誰しもそれなりの持論があるのだ。そんな食べ物は他にあまりないのではないだろうか。そんなプチカレー博士の集まりのような国、国民の中から突出したカレー好きが店を開き、カレーを開発するので、更にうまく尖ったものにもなる。ある程度尖ったものや物珍しいカレーだったとしても、カレーの多様性に触れてきた国民性は寛容でチャレンジのハードルも低く、更にカルチャーとしては発展しやすい土壌なのかもしれない。
③別視点・カレー屋が発展しやすい土壌と状況が後押しした
普及した要因をカルチャーではなく経営視点で考えてみると、まずカレー屋は他の飲食に比べると設備投資やコストが少なく、オペレーションも簡易なことから開業しやすい飲食店と言われる。また、食べる時間も短いことから回転数が高く、狭い店舗でも高収益が期待できるビジネスモデルと言われている。日本は国土も狭く年もコンパクトで高度経済成長時、爆発的な人口増加もあった。ビジネスモデルとして日本という国の環境にマッチしやすいことから、カルチャーに加えてビジネスとして成功しやすいのであれば普及と発展はうなずけるのではないかと思った。
④時代は流れ、カレーのブランディングでさらに幅広い客層へ
約30年前、幼少期だったころ既にカレーは国民食として普及していたが、けしてお洒落な食べ物ではなかったと思う。どちらかというと男性のほうが好きな印象というか、女性ももちろん好きな人は多いのだと思うが、「好物はカレー」と女性が口にするのはやや気恥ずかしかった感もある。ただ、いつの間にかカレーはお洒落な女性のランチ料理として躍進し普及した。スパイスやカレーに含まれる物が美容や健康に良いということに着目したプチカレー博士のような国民や店がブランディングしてお洒落でヘルシーなものに変化し、さらに多様性のある食べ物になった。
⑤ラーメンとの比較
カレーに並ぶ国民食でありガラパゴス的な変化、発展をしてきたラーメン。ただ「家ラーメン」という概念はあまり存在せず、あくまで店で食べるもので家で食べるラーメンはインスタントラーメン、というニュアンスが強い。共通点も多いが、相違点を上げるとコメと麵であればコメのほうが取り入れやすく、調理のしやすさやカスタムのしやすさはカレールウのほうがしやすいのではないか。自宅でラーメンのスープを仕込むことは至難の業だし、市販スープはあるもののカレールウの利便性には手が届かないのであろう。また保存のしやすさもカレーに軍配が上がり、美容、健康といった面でもカレーに軍配が上がる。
結論
- 幼少期から多様なカレー文化に触れることによる無自覚な高等教育によってカレー精通度の高い国民性になりカルチャーとして根付いた
- カルチャーとして根付いた物が広がる環境要因や土壌があった
- カレーの多様性に寛容な状態の為、ブランディングによっての変化も寛容で更に客層を広げることになった。
家庭が起点のカルチャーであり、多様性、寛容性も理解していることから、好みはあれど派閥が無いヒッピー的な食べ物、というふうな結果になるのでは無いかと思う。多種多様な家庭ごとの文化は、本来人間関係や思想においてもギャップの影響になりやすいが、不可侵の部分でもある。給食などの普及により完全に「独自」という価値観になる訳でもなく、「普通」を知りながらも「独自」も分かりつつ、「奇抜」も分かる。家庭ごとの文化を表立って否定する人々が少ないように「家庭それぞれだよね、人それぞれだよね」という寛容性がカレーにはあるのだ。
日本の寛容性は古来からの特徴だ。世界的に見ても珍しい事例でもある神道と仏教の神仏習合を始め、交わるはずのないカルチャーがうまくミックスしガラパゴス的な変化を遂げる。これは実に日本らしい特徴であり、今の世界に求められている多様性の尊重に他ならない。年々、国際社会で影が薄くなる日本だが、ぜひこの寛容性と、多様性を尊重するカルチャーを世界にうまく発信してほしいと思う。
カレーと向き合うシャツ
人生の様々なシーン、TPOに合わせた装いを提案するI SUGGEST。今回はカレーと向き合う姿勢として、絶対に着たくないであろう真っ白のシャツシリーズをご紹介したい。何故かというと、カレーを食べるときの独特の緊張感が嫌いでは無い。衣服についてしまうと非常に厄介な代物で、出来ることなら真っ白な服は避けたいところだが、真摯にカレーと向き合って、緊張感をもって食するのもまた良いではないかと思う。また、真っ白のシャツは着こなしのベースとなるものだ。誰しも持っているアイテムでもあり、多様性のある着こなしに度々登場するものでもある非常に奥の深いもの。シャツ単品だと個性は無いが着こなしによって多様性が生まれていく。今回ご紹介するのは持っていて損しない外せないシャツを集めてみた。